【札幌帰省】漢、本気の雪遊び【かまくらでカップラーメンを食う喜び】

どうもー!!

育休中ナースメン!!

おかずっちです!!

いやー、完全にサボってました。

ブログ書くのを。

この1ヶ月くらい、何をしていたか、

日記みたいに書いていこうと思います。

なんでこんなに更新してなかったの?

なんでサボったかって言ったら、

めんどくさかったからに他なりません。

最後の更新が1月2日でしかも階段RUNの記事…

ため息しか出ないわ。

FP2級の受験

まずFP2級の勉強をずっとしていて、1月22日の試験を受けてきました。

多分学科は合格で、実技は落としたわ!

実技は初めての問題に時間かけすぎて、最後まで解けなかった…

これは完全に準備不足だわ。

どれくらいの時間でどこまでやるか

時間のかかりそうな問題を飛ばす、とか

そういう戦略が必要だった。

あと単純に実技試験の問題をたくさん解いていなかった…

今後のFP2級受験はどうする?

学科が受かっているのがわかったら、実技試験は次回も受ける!

もっとちゃんと勉強する!

札幌でかまくらづくり

そんで、こないだ二週間札幌の実家に帰省しました。

子供と雪遊びしたいなーと思ってたけど

違うわ。

雪で遊びたいのは俺だったわ!!

というわけで

  • 公園の巨大雪山でそり遊び
  • 雪山づくり
  • 滑り台作り
  • かまくら作り
  • アイスキャンドル作り
  • 鎌倉で家族でカップラーメンを食う

など雪遊びを満喫してきたよ!!

かまくら作り

一番頑張ったかまくら作りについて紹介するよ

新潟出身でかまくら造りの経験のある母の意見を参考に作りました!!

手順

  1. 周りの雪をなるべく高く積み上げる
  2. 定期的に上にのぼり踏み固める
  3. 水をかける(気休め程度?効果は不明)
  4. 中を掘る
  5. アイスキャンドルを飾る
  6. 表札をつける
  7. 完成!!

かまくらの中で何をしたか?

中に段ボール、ピクニックで使うシートを敷いて、テーブルと座布団、毛布を持ち込み

家族でカップラーメンを食べました!

狭かったし、カップラーメンの味はいつも通りで普通だったけど

家族で毛布にくるまってあったかく過ごしたのは

作るまでが大変だったのもあいまって

達成感、満足感が極まる心地がしたよ!!

いまはどんなかんじ?

FP試験が終わってからは

何をするか自分でもわからなくて

もぞもぞと不快な状態が続いてます

自分がどのように生きていきたいのか?

何をしたいのか?

足を踏み出せず苦しい気持ちがするよ。

こういう時は3、4年に一度は訪れるんだよね。

行動すること、特に学ぶことが状況打破につながるから、

苦しいけど取り組んでいこう!!

子供に嫌われる父が考えること

ここまで読んでいただいた方、もしいたらありがとうございます。

ここから先はただ思いを書いただけなので飛ばしていただいてマジで結構です。

子供に嫌われ辛い夜を過ごす

最近子供に「パパいやだー!!ママがいいー!!」と言われることが多い。

自分が「いてもいなくてもいい存在」なのだと、実感させられる。

必要とされない、という考えは

恐ろしいし、恥の感情、怒りなど

ネガティブな感情が引き出される。

つらい夜だ。

父としての自分が揺らぐ

俺の夢の一つに

制服を着た可愛い娘とラーメン屋でラーメンを食う

というのがある

このままいけば問題なく実現されるだろうと思っていた。

娘に当然のように好かれる

それは思い込みだったようだ。

強く、頼られる存在

そういう俺の父親像は娘の一言で足元から崩れそうになった

俺はなぜ生きるのかと疑問に思う

どうでもいい考えがあたまに浮かぶのを止められない。

そもそもなんで俺は生きるのか?

飯を食うからか?

いや、食うのは俺の意志だ。

自分の意思で食わないで病院に運ばれてきて、死にかけた患者を見たことがある。

人は本気で頑張れば食わないで死を選ぶこともできる。

じゃあ俺はなぜ食って生きることを選んでいるのか?

食べて寝れば人は育つ

多分、この疑問を持つことが不自然なのだ

腹が減ったら飯を食うというのはそこら辺に生きてる大体の生き物に共通することで

当然であり自然なことと思われる

食わなくなるときはたぶん老衰で死ぬときだ。

昔飼っていた犬は歳をとって食わなくなって、最後は腎臓が弱って死んだ。

つまり、若くて健康な生き物が、腹が減ったら食い、食って成長して生き続けるということは、至極当然で自然なことだ。

疑問を挟む余地はない。

じゃあ、この疑問はどこから生まれたのか?

自由をもって人間として生き、喜びを得る

日本に住む私たちはおおむね自由だ

自由というのはとても心地いい。

楽しいことをしてもいいし

苦しいことをしてもいい

何をするかを自分で選んで

自由な振る舞いに酔う。

自由という心地よさは、人間ならではの生きる喜びじゃないだろうか?

自由と同時に責任を引き受ける

そして人はふいに気づくのだ

生きること死ぬことも自由だと

俺たちが負う責任は重い

重みを引き受けられるか?

喜びがなければ、生きることに疑問を向けてしまう。

喜び、責任の手綱を取れ!

多分、人間として生きる喜びと、なぜ生きるのかという疑問はセットなのだ。

自分の頭で対応できないような問題に出くわすと

生きる喜びがキュウっと縮んで

責任の手綱を取れなくなり

転落した地面から疑いの目を向けるようになる

「生きる喜びがあるから生きるんだ」

と、当然のように思えなくなる。

変化を恐れるな!学ぼう!

自分という存在への確からしさが揺れる時は

今まさに成長しようとする時だ!

これまで生きてきた皮を破り

新たに素晴らしい存在になろうとしている

よくよく思えば俺は生きる中で喜びを得てきた

かまくらを作ることだってそうだ

家族の中にかまくらをつくろうなんて言い出す奴がいるか?

雪で遊びたいとかいう奴がいるか?

キャンプを楽しみたいという奴がいるか?

子供にこの喜びを伝えられる奴がいるか?

いや、いないよな!

それ以外にも一杯一杯、楽しいことをしてきた

妻と指輪を作ったのだって今思い出してもワクワクするぐらい楽しいことだった!

こんなに生きる喜びがあるんだから!

俺は人間として喜び生きることができるし、それが当然のことだし、これからもそうやって楽しく生きていく!

これまでの俺で対応できないなら、変わっていけばいい!

変化を恐れず、学んでいこう!

おわりに

ネガティブな夜に諦めずに考え続けた甲斐あって

辛さの中に一筋の希望が見えてきた

そんな夜がありました。

そういえば昔精神科病棟で働いていた時

同僚の看護師に

「〇〇(おかずっちのこと)さん、〇〇さんって、あなたばっかり選ばれて、私が嫌われる」

と言っていた人がいたな。

あの時は「あなたの関わり方が良くないんじゃない」

とか平気で思っていたけど

選ばれない苦しみを知った今

もう少しマシな考えを持つことができるような気がするよ

色々書いたけど今日はここで一旦終わり!

バイバイ!またね!!

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